MUSYOKUTOUMEI

ライフ・デザイン・アクチュアリーのアナザーブログ

今年の大型連休、久しぶりにフェリーに乗って家族旅行に行くことにしました。大阪南港と別府を結ぶ「さんふらわあ」に乗るのは学生のとき以来、車での乗船は初めてです。

初の「お船ホテル」に家を出る前からテンション⤴⤴の3人。出航は19:05でしたが、15時過ぎには南港のさんふらわあターミナルに着いてしまいました。
1
以前は「コスモフェリーターミナル」という名称でしたが、運航会社が命名権を取得して今の名前になったみたいですね。

乗船手続きは一旦車を降りて歩道橋を渡り、隣接するATCの建物内にあるカウンターへ。しかし受付は16時からということで、おやつにアイスクリームを買ってしばらく外を散策しました。
1-3
なんとここで妻が(元)同僚と遭遇。この日はATCでトミカ博をやっていて、子どもを連れてきていたそうです。どこで誰に会うかわからないものですねー

フェリー内のレストランは混みそうだったので、ATC内の店で夕食用のテイクアウトを購入したところでカウンターへ。

お約束の記念撮影。
2
事前に記入しておいた乗船名簿と車検証を提出し、乗船手続はスムーズに終わりました。

が、船に乗れるのは18時からということで、どこか時間をつぶせるところはないかと3階に上がったらちょうどいいところが。
3
全く客のいない大阪市消費者センターのキッズスペース^_^;ここで絵本を読みながらまったり待ち時間を過ごしました。

車に戻っていよいよ乗船。ドライバー以外は歩いて搭乗かと思ってましたが、全員車に乗って行けました。
4

乗船後は混まないうちにと思い、とりあえず風呂へ。でも出るときのほうが空いてましたね。少し時間を開けていくのがいいかもしれません。鍵付きの無料ロッカーがありますが100円玉が必要です(あとで返ってくるやつ)。面倒だからコイン不要にしてほしいなぁ。

ちなみにレストラン(朝・夕ともバイキング形式)のほうはやはり行列ができていました。待たずに食べるには乗ってすぐ行くのがよさそうです。

ロビーと通路の飲食スペースも早々に埋まっていたので(ここはかなり競争率高そう)、部屋で買ってきた弁当を食べました。広めの個室(ファースト)を予約できていてよかったです。窓にも座れます(^^)v
7
なんかこんな構図の水色っぽい広告をみたことがあるのですが、何だったか思い出せません。適当に画像検索しても出てこなくてスッキリしないー

と、ここで「間もなく明石海峡大橋を通過します」と船内アナウンスがあったので甲板へ。時刻は20時過ぎです。淡路島には義理の祖父母がいるので橋の上は何度となく往復してますが、下から見るのは初めて。壮観です。でも風が強い!
6

下をくぐり抜けたところで部屋に戻り、まだ時間は早いですが明日に備えて消灯。しかし5人家族でベッドは4台(2段ベッド×2)なので一番下の長男は添い寝です。一番下といっても年長組、さすがに狭いです。また乗るとしても4人部屋の個室に5人で寝るのは今回が最初で最後だなー

翌朝はレストランにて朝食。営業開始は5:45。6時前くらいに行っても待つことはありませんでしたが、眺めのよい窓側の席に座ろうと思ったら開店前から並んでおく必要がありそうです。

そして6時半過ぎに別府に到着。晴れてると気持ちいいですね\(^o^)/
8

乗るときと同様、全員車に乗り込んで上陸です!
9

復路編につづく)


今日は保育所の卒園遠足で家族そろってカップヌードルミュージアム(安藤百福発明記念館)に行ってきました。集合は阪急池田駅に9:30…のつもりで9時過ぎに家を出たちょうどそのとき、正しくは9:10集合だったことが判明Σ(゚д゚lll)。

100%間に合わないので幹事の方に連絡を入れて直接車で向かうことにしました<(_ _)>

ミュージアムにも一応駐車場はあるのですが、ほとんど空いてないようなので(実際この日も満車)200mほど西にあるコインパーキングを見つけて駐車。


無事、保育所父母の会ご一行様とほぼ同時に到着しました。
1
駐車場空いててよかったですε-(´∀`*)

館内には、壁から天井まで広がるインスタントラーメンのパッケージや研究小屋などの展示もありますが…
11

メインはマイカップヌードルを作れるファクトリー。各自1個カップを手渡され、まずはパッケージのデザインから。
(予約制でより本格的なチキンラーメンの手作りファクトリーもあるようです)
2

描けたらスープの種類と4つの具を選び、麺と一緒に投入していきます。
3

全部で5,460通りの組み合わせがあるということですが、私の計算では
4×(12×11×10×9)÷(4×3×2)=1,980通りとなります…?
4
まぁ気にせず次に進みましょう。

ふたをかぶせて一瞬でシールする機械をじっと見つめる長女。
5

これにビニールをかぶせ、
6

温めて密封すると…
7

出来立てほやほやのカップヌードルが出てきます。温かいです。
8

最後に袋に入れてクッション代わりの空気を注入します。
9

カップヌードル4つをぶら下げてご満悦の長男😊
10

そのままお昼にインスタントラーメンを食べていきたい気分になりましたが、残念ながらレストランなどはありませんでした。あとでWebを見たら自販機と給湯器が設置されたテイスティングルームはあったようですね(奥のほうで気が付かなかった)。


5者5様のパッケージデザイン。
12

来週末の昼ごはんは「世界で1つだけのオリジナルカップヌードル」を食べ比べしてみます(^^
13



長女が友達を家に呼んでクリスマス会をやりたい!というので、みんなでケーキを作ってもらうことにしました。

ばあばに事前に焼いてもらったスポンジケーキを解凍。
2

生クリームを泡立てます。
1

スポンジケーキにたっぷり塗り、
3

友達が持ってきてくれた缶詰のフルーツを載せていきます。
5

最後はチョコレートのお菓子でデコレーション。
6
小枝の森に生い茂るきのこの山のクリスマスケーキ…斬新(^^;

早速みんなでおやつタイム。
a

僕も食べてみましたが、思わず
8
と、叫んでしまいそうでした。

色々重なってこの2日間で3個目のケーキには重かったですが、楽しくいただきました😊

DSC_0765_0917123340

半月ほど前になりますが、夏休みも終わりの8月30日水曜日の午後8時頃、2年近く飼っていたハムスターが静かに息を引き取りました。それからしばらくは夜がいやに静かに感じられました(ハムスターは夜行性なので夜になると活発に動き出します)。

「2.5×M+12」という、ゴールデンハムスターの月齢を人間の年齢に換算する式があるそうですが、これに当てはめると70歳近くだったことになります。

数か月前から徐々に運動量が減り、寝ている時間が長くなってきて、年を取ってきたのかなと思わせるようになっていたのですが、そのうちお尻のほうから毛が抜けてきて動物病院に通っていたところでした。

直前の週末に病院に連れて行ったときはまだ元気で、帰ってきてからもゲージの隙間から逃げ出すほどだったのですが、前日の夜あたりから急に様子が変わって動きがなくなり、当日の夕方には横倒しになってハムスターとは思えないゆっくりとした呼吸になっていて、死が近いのは明らかでした。

風呂からあがってきた長女が、ハムがもう動かなくなっていることを見届け、その夜のうちにスコップで家の裏に穴を掘り、寝床として使っていた壺と一緒に埋葬しました。

悲しみを表に出すのを我慢していた長女ですが、ハムを埋葬して家の中に戻ったあとはしばらく涙が止まりませんでした。毎晩、毎朝、エサをあげたりフンを取り除いたり、月に1~2回はゲージを掃除して、ハムのお母さんがわりでしたからね…。

毛が抜けてからは動物病院でもらってきた薬を飲ませるのも長女の仕事でした。僕がやろうとしても逃げてしまってうまくできないんですよね。

ちなみに病院での診察といってもできることはダニが原因かどうかの検査くらいで(セロハンテープを皮膚の表面につけたあとに顕微鏡で確認)、あとは炎症を抑える薬を対症療法的に与えるだけです。

それでも確かに抜け毛の範囲は小さくなっていたのですが、最後まで生えてこなかった部分の皮膚は固くなって変質していたので、多分、体の内部の病気だったのでしょう。

号泣している長女を見て次女もしくしくもらい泣き。天国はどこにあるのか、地面に埋めたハムは天国に向かって今どのあたりいるのかがとても気になっている様子でした。

そして長男は…、まだ状況をあまり理解できない様子で、翌朝には地面の中からハムがまた出てくるんじゃないかと思っているようでした(^-^;

最後までしっかりハムをお世話した長女、次は(長生きする)カメを飼いたいそうです。

本日、長男の頭を縫い合わせていた糸を抜糸しました。
1

先週土曜日のこと。

父の古希祝のため、弟のいる東北に旅行を兼ねてみんなで行くことになりました。ウチからは関空から仙台へ、ピーチに乗るために第2ターミナルへと向かいました。

あとからできたLCC専用(というかほぼピーチ専用)の第2ターミナルはまだ真新しいですが、見るからに低コストの作りになっていて、内装は鉄骨がむき出しになっているようなところもあります。

だいぶ手はかからなくなってはきたものの、3人子連れということで空港には余裕をもって到着。最後の搭乗ゲートも通過して搭乗口から外に出る直前、列に並んでいると、じっと待っていることのできない長男が周りをグルグル走って遊び始めました。

まーいつものことなのであまり気にも留めてなかったのですが、長女が追いかけて捕まえたその手を放した直後、ゴンッ!といういや~な音がして大声で泣き始めました。

ちょうど通路のコンクリート壁が折れ曲がって角になっているところに頭を激しくぶつけてしまったようです。

その音を聞いた瞬間はあーまたやってしまったかというくらいにしか思わなかったのですが、頭を見たらぱっくり大流血!!!Σ(゚д゚lll)

慌てて助けを呼びに行ったら一番近くにいた警備員の人が元救急隊員で(不幸中の幸い)、職員に話をつなげたあと、長男のそばで止血の応急処置をしてくれました。

その後妻と長男は救急車に乗って病院へ。僕は搭乗取りやめの手続きをとり、一旦預けたスーツケースを受け取って、ショックで号泣している長女と次女を連れて車に戻って病院へと向かいました。

搬送されたのは空港連絡橋を渡ったすぐのところにあるりんくう総合医療センター。関空で何かあったときには、いつでもここで対応できるようになっているようです。

幸い頭のケガは大事には至らなかったようで、僕が病院についたころにはすでに縫合処置も終わっており、廊下を動き回っていました…。(本人全く反省の色なし┐(´д`)┌)救急車で運ばれているときは、頭のことよりも車内のことが気になってドキドキしていたようです(^-^;

近くに1人おっちゃんがいて声をかけられたと思ったら、なんと警察官でした。一応事件性がないかを確認することになっているようで、5分ほど事情聴取を受けました。

医師からは仙台に行っても特に問題はないという回答をもらったので、便の振替えができるか確かめるために再び空港へ。ケガの直後に対応してくれた職員の方は「弟思いのおねえちゃん達がずっと泣いてて…」と言っていたそうですが、おじいちゃんが大大大好きな長女は、ずっと楽しみにしていた仙台に突然行けなくなったのがショックだったんだよね~。

まあでも自分も責任を感じていたようで、長男の元気そうな姿を見てちょっとほっとした様子でした。

ピーチだけに航空券は再購入を覚悟していましたが、事情を考慮してくれて、特に料金の追加もなく、空いていた翌日早朝の便に振り替えてもらいました。自宅に帰ってると乗れる時間ではなかったので、宿を探したところ、空いていた関空エアポートワシントンホテルがちょうどりんくう総合医療センターのすぐ隣で安心だったので、そこに泊まることにしました。

その後、しばらく元気にしていた長男でしたが、麻酔が切れてきたのか夕食を食べ終わったあたりから痛がり始め、夜もなかなか寝れない様子だったので、妻が隣の病院に再び連れて行きました。

これはちょっと明日いけないかもな~と思って待っていたら、深夜にもかかわらずすぐに見てもらえたようで、痛み止めももらって寝付いていました。あんなに痛そうにしていたのに、病院についたころにはケロッとしていたようです。
2

そして翌日、こんどこそは無事に搭乗口を出て飛行機に乗って仙台へ。
3

予定より1日遅れでしたがお祝いもできました。
4

楽しい思い出になってよかったね!ほんと。
5

このページのトップヘ